■2022年11月度 歴史委員会 定例会議事録
日時:2022 年 11 月 30 日(水)18:00~20:00 ZOOM によるオンライン会議
出席者:浅川(ZOOMホスト)、犬塚、須長、蒲田、伊藤、中澤
◆主議題:「今後の歴史委員会の運営について」
(本日の議題について、不参加者からの意見も求めましたが、寄せられた意見はありま
せんでした。)
今回の議題に至った背景には、オンライン会議以後、各個人テーマの発表に偏向した
ため定例会への出席者が固定化し、他の委員にとって参加しにくいイメージがあったの
ではないかという反省がありました。
【決定事項】
1.各個人研究テーマについては、これまで通り各個人または、有志グループ等で活動をする。
(活動の報告は、定例会の近況報告、話題提供の場などを利用)
2.歴史委員会の定例会について
(1)会合の内容について
①連絡事項(活動報告会、総会、他の委員会の活動等の情報、その他)
②参加者の近況報告
③一回程度/年の見学会、その他イベントの企画について
④話題提供の場(各個人研究テーマについての報告等)
(2)定例会の開催日について
1回/2~3ケ月(活動報告会前、総会前等イベントの前等、必要に応じて臨時開催あり)
(3)会議方法
当面はオンライン会議とする
◆緊急議題:「活動報告会への歴史委員会としての対応」について
(「2023年2月21日(火)」午後より活動報告会開催、が理事会で決定されました。)
各テーマ研究中の浅川、犬塚、蒲田各委員は、他の委員会報告と重なる等諸事情により
発表辞退とのことにより、「戦後のエクステリアの歴史」グループの中で対応する。
但し、歴史委員会としての活動報告なので、浅川、犬塚、蒲田の各委員の活動テーマ等
も明記すること。内容は、次回会議にて草案を提示。
以上
◆次回 定例会日時:2023年2月1日(水)18:00~ZOOMによるオンライン会議
■2022年10月度 歴史委員会 定例会議事録
日時:2022 年 10 月 19 日(水)18:00~ZOOM によるオンライン会議
出席者:浅川(ZOOMホスト)、犬塚、須長、蒲田、中澤
(出席者都合により、18:00~19:30迄)
◆議題-1(各委員のテーマでの発表:各発表者から事前配信資料と合わせてお読みください)
犬塚:「江戸期の各地域における下級武士の生活」の内
「長野県松代町の武家屋敷街並み」(2021年5月度 定例会にて報告済みの補足:図省略)
(内容は、日本エクステリア学会ホームページ歴史委員会定例会 議事録を参照)
補足内容-1:長野市の地形と松代市
・松代は三方向を急峻な山に囲われ、北西の千曲川に面した位置には松代城が配置。
・妻女山は川中島の戦いにおいて上杉謙信が陣を構えた山。
補足内容-2:松代城下町と公開武家屋敷及び古総構跡(推定)
・1622年の絵図には城下町を囲む外郭土塁(総構)が描かれ西側の一部では土塁を超えて屋敷
が広がっている。
・1622 年以降真田信之が上田から松代に移封されて以降外郭土塁を超えて屋敷が広がる
ようになる。
・城下町の武家屋敷は城に近い側から上級武士、中級・下級武士の順に配置された。
・自然の地形に守られた城下町において、城の防御は武家屋敷の外周に塀を廻すこ
とであった。
*何故、白壁なのか、防火との関係等については今後の検討課題。
蒲田:「江戸旗本屋敷のゾーニングを中心としたエクステリア調査」
今月の調査分(事例-15)糸原啓之助上屋敷絵図(図は省略)
(東京都公文書館所蔵、至文堂 城郭・侍屋敷古図集集成 江戸城II 侍屋敷)
・屋敷所在地: 小川町裏神保小路124(現在の東京都千代田区神田神保町1~3丁目界隈)
・敷地面積:338.73坪(敷地間口:16.13間、敷地奥行:21.00間)
・主家面積:93.25坪、普請時期: 不明、家禄高:350表
<この屋敷の特徴>
①御玄関より廊下を渡り、玄関と対面する位置に表座敷がある。
②表座敷と御玄関に囲まれた、比較的狭い中庭に、池、島、山等奥行きの深い庭園構成。
浅川:「地方の武家屋敷から郊外住宅のエクステリアを考える」のうち今月は
1.沖縄(歴史的住宅地:首里金城町石畳道、街区住宅地:美浜ハイツ、
マリンタウンLACOSTA)
2.四国(街区住宅地:住友山田社宅、グリーンヒルズ湯の山)
3.中京(歴史的住宅地:白壁・主税町・橦木町、
街区住宅地:桃花台NTグリーンテラス城山、桃花台NTガーデンタウン篠岡
大型住宅地:桜ヶ丘ハイツ皐ヶ丘、岐?グリーンランド
街区住宅地:岐阜グリーンランド
4.中国(街区住宅地:ビオガーデン倉敷、サンノゼの丘、リビオ姫路大津 ブリルーム
ガーデン望み)
5.北陸(歴史的住宅地:長町武家屋敷街、大型住宅地:金沢太陽が丘、瑞樹団地
街区住宅地:前沢パークタウン、緑が丘玉家、木立野玉家。等の分譲地について
・開発年、事業者、住所、分譲戸数の資料。
・特長的な写真(街並み2枚、門回り、塀・柵、駐車場)を添えて説明あり。
◆議題-2将来の歴史委員会の出版物に向けて
先月各出席者から意見を述べていただき、集約すると
・「江戸時代のエクステリア」のテーマと「戦後のエクステリア」をテーマに分かれている。
これを一冊の出版物にまとめることは難しいのではないか。
・各個人のテーマで委員会の運営をしてきたが、この際「江戸時代班」と「昭和戦後班」に
分けて活動した方がいいのではない。等の意見が出る。
・次回は、「委員会の運営について」を議題に会議をする(欠席者にも意見を募る)。
◆次回 定例会予定は、11月30日(水)18:00~
以上
■2022年9月度 歴史委員会 定例会議事録
日時:2022 年 09 月 14 日(水)18:00~ZOOM によるオンライン会議
出席者:浅川(ZOOM ホスト)、犬塚、須長、蒲田、伊藤、中澤
◆議題(各委員のテーマでの発表:各発表者から事前配信資料と合わせてお読みください)
犬塚:「江戸期の各地域における下級武士の生活」の内
知覧武家屋敷補足資料として「魔除けの文化」
2021 年 12 月度定例会で、知覧武家屋敷をとりあげ、西郷恵一郎氏邸門の真正面に屏風
岩の写真を掲載、その説明で「敵の矢などで狙われない、視線を遮る、一気に攻め込まれ
ない等の目的」であり、沖縄のヒンプンの影響があったこと。さらに道の三叉路に「石敢
当(せっかんとう)」を配置。これらは沖縄で見られる「魔除け」の影響と報告した。
今回はその補足資料として、
(知覧の武家屋敷群で見た「石敢當」及び「ヒンプン」についてその源流を沖縄の民家に
探った)
結論:ヒンプンは元々魔除けの文化からきたものであり後に戦における防御施設に利用さ
れたと思われる。
《石敢當(セキカントウ、イシガントウ)》
・魔物(マジムン)を撃退する魔除け石。マジムンは直進 しか出来ず曲がることが出来ない。
・平らな石に「石敢當」と刻み三叉路の突き当りに配置、石垣に埋め込んだ石。名前は強い
武士の名前。
マムジンはこの石にぶつかると粉々に砕け散る
・中国では唐の時代(770 年)に作られた石碑が残る。
福建省地方を経て琉球、東南アジアに伝播。
・琉球には 15 世紀中頃に伝来し、16 世紀末には日本各地に広がったと思われる。
・沖縄県に 10000 基以上、鹿児島県に 1000 余基、北は秋田県(38 基)、北海道(1 基)残る。
・本土で最も古いものは鹿児島県志布志市(1616 年)
・海外には中国、香港、台湾、シンガホ-ルなどに見られる。
沖縄郷土村の石敢
《ヒンプン》
・悪霊や邪悪なもの(マムジン)は家に真直ぐ入り込むと云 われており、それを入口で跳ね返す
ものがヒンプンと云われる。
・風水による魔除け施設。石垣、竹垣、ガジュマルなどの樹木の場合がある。
・外部からの目隠し、台風除け、人の出入りを分離
(男は右、女は左)などの説があるが、本来は魔除けの施設とのこと。
出水市のヒンプン
《シ-サ-》
・元は中国から伝来した獅子の神様(霊獣)。神社の魔除け
・14-15 世紀頃、建物の門前、貴族の墓などに魔除けとして使用。
・1 基の場合は口を開いた雄のシ-サ-。(マジムンに噛みつく)
*石敢當は地面、シ-サ-は屋根に配置。
蒲田:「江戸旗本屋敷のゾーニングを中心としたエクステリア調査」
今月の調査分(事例-14)日下寿之助元屋敷
(東京都公文書館所蔵、至文堂 城郭・侍屋敷古図集集成 江戸城 II 侍屋敷)
・屋敷所在地:駿河台池田坂下 17(現在の東京都千代田区神田駿河台 1~4 丁目界隈)
・敷地面積:565.50 坪(敷地間口:29.00 間、敷地奥行:19.50 間)
・主家面積:113.75 坪、普請時期: 不明、家禄高: 不明
<この屋敷の特徴>
①2方向道路(間口の広い方に表門)。
②表座敷と長屋門(使用人の部屋)との間に狭い庭。旗本屋敷の表庭にしては狭い。
③表座敷に比べて、居室用庭は、池を中心にした広い面積。
須長:戦後 住宅庭園・ガーデン・エクステリア書籍リスト作成
・全体のボリューム:1945 年から 2019 年まで、A4 サイズ 54 頁。
・未だ精査中で、増える模様。
・今回は、1945 年(昭和 20 年)~1960 年(昭和 35 年)頃まで、3 頁の範囲での主な
出版物について
中澤:「戦後のエクステリアの歴史」