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2022年 歴史委員会…定例会議事録

■2022年9月度 歴史委員会 定例会議事録
 

日時:2022 年 09 月 14 日(水)18:00~ZOOM によるオンライン会議 

出席者:浅川(ZOOM ホスト)、犬塚、須長、蒲田、伊藤、中澤

 

◆議題(各委員のテーマでの発表:各発表者から事前配信資料と合わせてお読みください)

 

犬塚:「江戸期の各地域における下級武士の生活」の内

      知覧武家屋敷補足資料として「魔除けの文化」

 2021 年 12 月度定例会で、知覧武家屋敷をとりあげ、西郷恵一郎氏邸門の真正面に屏風

岩の写真を掲載、その説明で「敵の矢などで狙われない、視線を遮る、一気に攻め込まれ

ない等の目的」であり、沖縄のヒンプンの影響があったこと。さらに道の三叉路に「石敢

当(せっかんとう)」を配置。これらは沖縄で見られる「魔除け」の影響と報告した。

 今回はその補足資料として、 

(知覧の武家屋敷群で見た「石敢當」及び「ヒンプン」についてその源流を沖縄の民家に

った)

結論:ヒンプンは元々魔除けの文化からきたものであり後に戦における防御施設に利用さ

れたと思われる。 

 《石敢當(セキカントウ、イシガントウ)》 

 ・魔物(マジムン)を撃退する魔除け石。マジムンは直進 しか出来ず曲がることが出来ない。

 ・平らな石に「石敢當」と刻み三叉路の突き当りに配置、石垣に埋め込んだ石。名前は強い

  武士の名前。

  マムジンはこの石にぶつかると粉々に砕け散る

 ・中国では唐の時代(770 年)に作られた石碑が残る。

  福建省地方を経て琉球、東南アジアに伝播。

 ・琉球には 15 世紀中頃に伝来し、16 世紀末には日本各地に広がったと思われる。

 ・沖縄県に 10000 基以上、鹿児島県に 1000 余基、北は秋田県(38 基)、北海道(1 基)残る。

 ・本土で最も古いものは鹿児島県志布志市(1616 年)

 ・海外には中国、香港、台湾、シンガホ-ルなどに見られる。

    

      沖縄郷土村の石敢

 《ヒンプン》 

 ・悪霊や邪悪なもの(マムジン)は家に真直ぐ入り込むと云 われており、それを入口で跳ね返す

  ものがヒンプンと云われる。

 ・風水による魔除け施設。石垣、竹垣、ガジュマルなどの樹木の場合がある。

 ・外部からの目隠し、台風除け、人の出入りを分離

  (男は右、女は左)などの説があるが、本来は魔除けの施設とのこと。

    

      出水市のヒンプン

 《シ-サ-》 

 ・元は中国から伝来した獅子の神様(霊獣)。神社の魔除け

 ・14-15 世紀頃、建物の門前、貴族の墓などに魔除けとして使用。

 ・1 基の場合は口を開いた雄のシ-サ-。(マジムンに噛みつく)

  *石敢當は地面、シ-サ-は屋根に配置。

 

蒲田:「江戸旗本屋敷のゾーニングを中心としたエクステリア調査」

   今月の調査分(事例-14)日下寿之助元屋敷

 (東京都公文書館所蔵、至文堂 城郭・侍屋敷古図集集成 江戸城 II 侍屋敷) 

 ・屋敷所在地:駿河台池田坂下 17(現在の東京都千代田区神田駿河台 1~4 丁目界隈)

 ・敷地面積:565.50 坪(敷地間口:29.00 間、敷地奥行:19.50 間)

 ・主家面積:113.75 坪、普請時期: 不明、家禄高: 不明 

 <この屋敷の特徴> 

 ①2方向道路(間口の広い方に表門)。

 ②表座敷と長屋門(使用人の部屋)との間に狭い庭。旗本屋敷の表庭にしては狭い。

 ③表座敷に比べて、居室用庭は、池を中心にした広い面積。

 

須長:戦後 住宅庭園・ガーデン・エクステリア書籍リスト作成

 ・全体のボリューム:1945 年から 2019 年まで、A4 サイズ 54 頁。

 ・未だ精査中で、増える模様。

 ・今回は、1945 年(昭和 20 年)~1960 年(昭和 35 年)頃まで、3 頁の範囲での主な

  出版物について

 

中澤:「戦後のエクステリアの歴史」

 Ⅰ.90 年代頃のエクステリア流通業界

 ・まだサンルームなどの訪問販売を無視できない時代。

 ・DIYの急伸

 ・有力業者は、展示場、CAD導入での提案営業と、施工を伴い年商 100 億超え。

 Ⅱ.エクステリアメーカー(アルミ)の動向

 ・門扉、フェンス、カーポートのトータルデザイン的イメージのシリーズ化

 (三協:エクモア。新日軽:エクジス。東洋エクステリア:シャレオ等)

 ・93 年以後減少気味の出荷(住宅の好景気と連動しなくなった)

 ・門扉、フェンスの設置率低下(オープン外構)、カーポートの落ち込み

 ・ハウスメーカーの意向に影響を受けやすくなった

 Ⅲ.ハウスメーカーの台頭

 ・建物と外構工事の同時提案、外構工事の低価格化

 ・ハウスメーカー独自のエクステリアカタログ(推奨商品)

 Ⅳ.エクステリア施工業界

 ・販工店の中でも、ハウスメーカーの下請けを選ぶ企業と、プラン力を磨き外構のゼネコン

  化して、独自の営業力で、独自性を守る企業に分かれてきた。

 ・販工店の団体としての日本エクステリア建設業協会

 ⅴ.人材・教育

 ・東京都の職業訓練校に高年齢者のエクステリア科新設検討

 ・調査アンケートの中で、都内 23 区内の事業者の意識としての「エクステリア工事」とは

 ①外構工事②アルミ製品取り付け③ブロック工事の順だった。

 

歴史委員会の出版物についての話し合い

 ・出版時期:各委員会の準備段階から考えると、2025 年度頃?

 ・内容について:下記委員から意見発表

 ◆次回 定例会予定は、10 月 19 日(水)18:00~

 

 以上

 

 
■2022年8月度 歴史委員会 定例会議事録
 

日時:2022 年 08 月 24 日(水)18:00~ZOOM によるオンライン会議 

出席者:浅川(ZOOM ホスト)、犬塚、須長、蒲田、伊藤、中澤

 

◆議題(各委員のテーマでの発表:各発表者から事前配信資料と合わせてお読みください)

 

犬塚:「江戸期の各地域における下級武士の生活」の内「佐倉武家屋敷」

(佐倉武家屋敷は、過去に歴史委員会ほぼ全員で見学済なので、ここでの概要は省略します)

*旧但馬家の他に旧河原家、旧武居家があるが、いずれも建物を移築している為建物と敷

 地との関係性など当時の生活状況を推定するのは、旧但馬家が妥当と考える。

《旧但馬家住宅の詳細:屋敷全体図は無し》 

・建物、屋敷地、植栽は昔のまま、屋敷地は340坪、100石取り。 

・門の正面に玄関。アプロ-チは短く一直線。 

・玄関から仲の間を通して奥の庭の一部が見える洒落たつくりとなっている。 

・玄関に隣接させて西側に12.5畳の座敷。 

・座敷の南側と西側には濡れ縁があり。南側には庭園があった。庭園には池・景石等は

 使用せず植栽で修景していたと想定される(ツツジ、ボタン、ムクゲ、ツゲ、キク)。 

・西側隣地との境にはシラカシ(大木)、ニッケ イ(最近枯損)などの常緑樹が境界木として

 植栽されている。 

・建物北側には井戸、菜園、果樹、茶などが植栽されている(モウソウチク、カンチク、

 ヤダケ、ビワ、ユズ、クリ、クヌギ(佐倉炭)、ヤマモモ他)。 

・菜園は使用人、出入農民が作業をした。出入りル-トは屋敷内から見られないよう生垣 

 の外などに設けられた。 

*佐倉武家屋敷は、先月まで見てきた「角館」「知覧」と比べて「もてなしの庭」には、

 金をかけない質素な造りで、生活重視の屋敷の様子がうかがえる。

図-1 佐倉武家屋敷の通り断面図

 
図-2 旧但馬家の門

 

蒲田:「江戸旗本屋敷のゾーニングを中心としたエクステリア調査」

 今月の調査分(事例-13)進藤三左衛門元屋敷 

(東京都公文書館所蔵、至文堂 城郭・侍屋敷古図集集成 江戸城 II 侍屋敷) 

・屋敷所在地:表六番町通り(現在の東京都千代田区六番町界隈) 

・敷地面積:385.88 坪(敷地間口:15.75 間、敷地奥行:26.00 間) 

・主家面積:86.50 坪、普請時期:不明、家禄高: 700 石(西丸御徒頭) 

<この屋敷の特徴> 

①塀が描いてある(2間ごとの控え柱のある、板塀か?)。 

②鳥居が2か所描いてある、いずれも内庭。 

他の旗本屋敷にもみられるように、アプローチの両側は、塀(垣)で仕切られている。

 

浅川:「地方の武家屋敷から郊外住宅のエクステリアを考える」のうち今月は

・関西地区で 1910 年代以後 2013 年まで、約 100 年間に開発分譲された 23 の住宅地の紹介。 

・分類方法:分譲地名、開発年、事業者、地区、戸数、エクステリアの特徴を横一列 

 エクステリア(街並み、門回り、塀・柵、駐車場)の特徴的写真5枚組にて整理。 

*掲載写真は 1986 年以後は、撮影当時の写真であり擁壁、ガレージ、門回り等の素材、デ

ザイン面でのエクステリアの歴史も感じられる写真集。 

*関東、関西でのエクステリアに対する考え方の違いも感じられる写真集か?

 

須長:戦後 住宅庭園・ガーデン・エクステリア書籍リスト作成(引き続き作業継続中)

・2019 年度までを目標に作業中。 

・2000 年度以後、出版量が多くなっていて、作業量も多くなっている。 

・作業中の感じていることの一つに、2000 年表題に「ガーデン」が多くなっている。

 

伊藤:「エクステリア CAD の歴史」

・1982 年の雑誌「庭」の中の 特集記事「コンピュータで庭づくり」での記事の紹介。 

・未だ CAD ソフトの無い時代で、将来のイメージをイラストを含め紹介している。

 

中澤:「戦後のエクステリアの歴史」

 1980 年代の経済雑誌から当時のエクステリア業界を外側の人々は、どのように見ていたのか 

・エクステリア商品のアルミ化が進む(スチー製メーカーの後退、アルミメーカーの台頭) 

・アルミの新商品としてサンルームの販売が活発になった。一方で北海道地方を中心に 

 悪質なサンルームの訪問販売業者(詐欺的販売、ズサンな工事)が社会問題化された。 

・1989 年東京都武蔵野高等職業技術専門校にエクステリア科が開設された(ブロック建築

 科の廃止)。

 

次回は、出版に向けての議論の時間確保の為、当初各発言時間を 15 分程度にします。 

 ご協力をお願いします。

◆次回 定例会予定は、9 月 14 日(水)以上

 
 
 
■2022年7月度 歴史委員会 定例会議事録
 

日時:2022 年 07 月 15 日(金)18:00~ZOOM によるオンライン会議 

出席者:浅川(ZOOM ホスト)、犬塚、須長、蒲田、伊藤、中澤

 

◆議題(各委員のテーマでの発表)

 

犬塚:「江戸期の各地域における下級武士の生活」の内続「知覧の庭」

詳細は《こちら》を参照。

 

蒲田:「江戸旗本屋敷のゾーニングを中心としたエクステリア調査」

 今月の調査分(事例-12)高井蔵太 屋敷

 (東京都公文書館所蔵、至文堂 城郭・侍屋敷古図集集成 江戸城 II 侍屋敷) 

  ・屋敷所在地:芥坂下厩谷通り 127(現在の東京都新宿区市ヶ谷界隈)

  ・敷地面積:604.17 坪(敷地間口:19.18 間、敷地奥行:31.50 間)

  ・主家面積:107.00 坪、普請時期:不明、家禄高: 不明 

 <この屋敷の特徴>

  ①方位が入っている ②離れ(隠居部屋)がある ③築山らしい描写がある

  ④家臣の部屋が6家族分 ⑤方位に対する建築的配慮がない、方位の記載のない旗本屋敷

  と建築計画的に大きな差異は認められない。

 

浅川:「地方の武家屋敷から郊外住宅のエクステリアを考える」のうち、

  ・1980 年代以後の 23 分譲地(東北、関東、九州地区)の街並みエクステリアを紹介

  ・分類方法:分譲地名、開発年、事業者、地区、戸数、エクステリアの特徴を横一列

  エクステリア(街並み、門回り、塀・柵、駐車場)の特徴的写真5枚組にて

  *道路側の植栽の量、質等など時代によって変化する街並みについて考えていく。

 

須長:戦後 住宅庭園・ガーデン・エクステリア書籍リスト作成(引き続き作業継続中)

 

伊藤:「エクステリア CAD の歴史」

   ・全体の構成案を示す。

 

中澤:「戦後のエクステリアの歴史」

   1970 年代前後の経済雑誌から当時のエクステリア業界を外側の人々は、どのように見ていたのか

  1970 年代前後の経済雑誌の計数的原資料と思われる、ヤノレポート(矢野経済研究所)

 の6つの記事を閲覧し、①当時のエクステリア商品動向、②市場規模、③主なメーカー名

 ④主な流通会社名などのあらましを報告(歴史委員会メンバーに別途配信予定)。

 

◆次回 定例会予定は、8 月 20 日(土)以上

 

 
■2022年6月度 歴史委員会 定例会議事録
 

日時:2022 年 06 月 15 日(水)18:00~ZOOM によるオンライン会議 

出席者:浅川(ZOOM ホスト)、犬塚、須長、中澤

 
◆連絡事項 
・7 月 1 日 13:30 より定時総会がありますので、ご協力をお願いします 
 

◆議題-1(各委員のテーマでの発表)

 

犬塚:「江戸期の各地域における下級武士の生活」の内、角館について

・4 月度報告の補足資料として現存 4 家(青柳家、小田野家、河原田家、石黒家)の平面

図を提示。 【紙面都合上、青柳家を掲載 (出典:角館城下町の歴史 林正崇 著)】

   角館武家屋敷 共通する庭の特徴
   1.内塀によって、アプローチと庭を仕切る
   2.座敷の二方向を開放し、広く見せる
   ◎夏の暑さ対策(風通しを良くする)
   3.土縁がある
   ◎冬の雪・寒さ・採光対策
   ◎夏の暑さ対策(深い軒で涼しく)
    
 

浅川:「地方の武家屋敷」(村上武家屋敷:新潟県村上市)について

【村上武家屋敷沿革】 

 慶長 3 年(1598)上杉景勝が会津に移封されると、越後には堀秀治が春日山(上杉氏旧居城)に

移された。その堀氏の与力大名として加賀小松から 9 万石の大名として村上頼勝が入封した。 

 村上氏は堀や門を築造し城下町の整備を行った。村上氏の後に入った、堀氏は石垣を築

き諸櫓を建て、家臣住宅を整備拡張した。また、この頃になると町人町も人口が増え町の

数も地域も大きく発展させるなど城下町の大規模な造営を行い、近世城郭としての村上城

と城下町を完成させた。以後、15 万石から 5 万石の親藩・譜代大名が相次いで村上を領し

た。享保 5 年(1720)、内藤突信が 5 万 90 石で入封し、以後は明治維新まで内藤氏の治政が

続いた。 

【現存する武家屋敷】:若林家、旧成田家、嵩岡家などがある。

   

  若林家住宅 門(茅葺)        若林家 御母屋

【スギの生垣について】 
 村上ではスギの生垣を指して「スギグネ」と呼ぶ。現在の生垣にはヒノキ系をはじめとした
様々な樹種があるが一番目につくのはスギである。スギの生垣には比較的年輪の太いものや
高木化しているものがあり、ほかの樹種の生垣と比べ年代的に古いことが判る。
 村上では、主要な門の周辺や上級武士の屋敷まわりなどに板塀を用いたようだが、敷地境界
の大部分はスギグネであったと考えられる。
 武家は空地に畑をつくり、野菜類を栽培していた。飯野の山口家はその頃の様子を今に伝え
ているが、ほかの武家屋敷も同様であったと考えられる。
 給与生活者であった武士は決して裕福ではなく、主食以外は自給自足に近い暮らしをしていた。
 武家町の畑には前述の武家屋敷内部の畑のほかに、広い耕地を持つ茶畑がある。内藤氏時代に
は家臣にお茶の栽培を奨励しているので、藩政期から行われていたことは関連ないと思われる。
日本最北限の茶処。
 
 
  杉の生垣「スギグネ」
 
須長:戦後 住宅庭園・ガーデン・エクステリア書籍リスト(中間報告)
(*A4 18 頁に及ぶ資料にて、紙面の都合上リスト作成にあたっての前書きのみ掲載) 
・ウエブサイトで公開されている、日本庭園学会が作成した庭園関係の膨大な書籍リスト
である「庭園関係書籍概覧」の中から、戦後に出版された住宅庭園、ガーデン(洋風庭園
に関するものも含む)、エクステリア(エクステリアの名称のつく書籍、門・塀等住宅の
外構に関する書籍)を選び出し、さらに出版社の出版情報、古書店の販売目録等の情報か
ら、園芸・植物の書籍の中で庭に関わると思われる書籍を追加して補足を行ったものです。 
・洋書については、日本語に翻訳された書籍はリストに加えています。 
・雑誌は基本的には入れていませんが、特集・別冊等で必要と思われるものは一部リスト
に加えて(雑)を付しています。 
・著者あるいは編者が不明の場合には「…」をつけています。 
・リストは初版の発行年順に作成していますが、増刷等がわかるものは書籍ごとに増刷年
を記しています。 
(*発表後、出席者から分類方法などの意見が出ました。) 
 
中澤:「戦後のエクステリアの歴史」1970 年代前後の経済雑誌、建築雑誌記事等から当時
のエクステリア業界を外側の人々(経済、建築)は、どのように見ていたのかを探る。
◎6 月 22 日委員会メンバーに、1977 年の経済雑誌のエクステリア関連記事 5 つ(国会図書
館資料を文字入力したもの)を送った(タイトルは以下の通り)。 
①商工ジャーナル 1977-06(新産業動向:“売れる商品づくり”へ向かう<エクステリア産業> 
②三菱銀行調査 1977-08(住宅産業:注目されるエクステリア) 
③近代中小企業 1977-08(注目業界:エクステリア製品製造業) 
④住宅ジャーナル 1979-10(特集 住宅とエクステリア) 
⑤通信ジャーナル 1977-11(エクステリア産業) 
◎先の経済記事の数字的資料は、矢野経済研究所発行「ヤノレポート」によるものも多く、 
今回ヤノレポート 1974-11-11(園芸ブームで伸びる家庭用温室)以下 3 つの記事をとりあ
げた。(1970 年代のヤノレポートを整理次第、委員に配信します)
 
◆次回 定例会予定は、7 月 13 日(水)以上
 
 
 
■2022年5月度 歴史委員会 定例会議事録
 

日時:2022年05月18日(水)18:00~ZOOMによるオンライン会議

出席者:浅川(ZOOMホスト)、蒲田、須長、中澤

 

◆議題-1(各委員のテーマでの発表)

 

蒲田:「江戸旗本屋敷のゾーニングを中心としたエクステリア調査」

 今月の調査分(事例-11)杉原弥吉 上ヶ屋敷絵図面

 屋敷所在地:表六番町66(現在の東京都千代田区六番町界隈) 

 普請時期:未確認 

 家禄高: 不明(城郭・侍屋敷古図集集成 江戸城II 侍屋敷には400との記載あり)

 敷地間口:20.75間 敷地奥行:33.03間 敷地面積:754.38坪

 出典:(東京都公文書館所蔵、至文堂 城郭・侍屋敷古図集集成 江戸城II 侍屋敷)

 *屋敷の特徴

 ・原本に方位記号が入っている稀な物件。

 ・「御庭」「庭」と明記された区画があること。

 ・屋根付き廊下が御庭を横切って「御書院」(客間)から「御居間」(主の居間)へ続いている。

 

浅川:「地方の武家屋敷」について

 「薩摩の麓」外城制度について

 江戸期では、一藩一城制の為薩摩藩では、外敵からの攻撃に備え、本城である鹿児島城を中心とし、県内各地に外城を配置し武土団を住まわせていた。これは「麓」と呼ばれる外城制度で薩摩藩独自の体制であった。麓は、防御に適した場所に作られ、門と玄関間に生垣を配位する等、まるで城のような構造を持っていた。そこでは武士達が心身を鍛え、農耕に従事し、平和な世にありながら武芸の鍛錬に励んでいた。

 ●「出水麓」について

 肥後藩との境にあり、藩の防衛上特に重要な拠点の一つであった。

 江戸時代になると出水城から続く起伏の多い丘陵地を平らに整地し、道路を格子状に掘り込んで計画的に武家屋敷が造られた(写真-1)。

・地頭仮屋は藩主の参勤交代、巡見の宿泊所としての役割があった(写真-2)。

・仮屋の周辺!こ、重臣の屋敷や郷士の屋敷が配置された。武家屋敷の周囲に何本も当された

・道路は(「馬場」)として利用。武士が武術の訓練をする場所であり、集落全体で侵入者に対する備えとしての役割もある(写真-3)。

・一つの街区は玉石を利用した石垣による整然とした区画になっており、、道路より高く設けて防御施設としての役割を持つ(写真-3、写真-4))

・門は腕木門(写真-5)

・塀は生垣(すべて常緑、イヌマキを除けばツバキ科。道路から内部が見えないぬよう

密生、かつ石垣を壊さぬように地中にまっすぐ伸びる樹種であること(写真-3)。

・その他茶の木は飲用。ツバキ、サザンカは種から油を搾り食用とした。

(写真-1:出水麓の全体模型)

(写真-2:地頭仮谷の門)

(写真-3:道路=馬場) 石垣:玉石摘  生垣:イヌマキ、ツバキ等常緑)

(写真-4:屋敷の模型)

(写真-5:屋敷の門は腕木門)

 

中澤:「戦後のエクステリアの歴史」

 ・1970年代前後の経済雑誌、建築雑誌記事等を読んで、当時のエクステリア業界を外側の人々(経済、建築)は、どのように見ていたのかを探りたい。

 

 次回の定例会:6月15日(水)18:00~

 

 
 
■2022年4月度 歴史委員会 定例会議事録
 

日時:20220413日(水)1800ZOOMによるオンライン会議

 出席者:浅川(ZOOMホスト)、犬塚、蒲田、須長、阿部、中澤

 

◆議題-1(各委員のテーマでの発表)

 

犬塚:「江戸期の各地域における下級武士の生活」の内、角館について

 ◎角館の初代領主 芦名義勝が城下町建設の地割を行った。

  ・芦名義勝は秋田藩主佐竹義亘の弟。戦国の名門、芦名家を継承し初代角館芦野氏となる。

  ・芦野家の象徴であった角館城の破却(一国一城制度)に伴い、名家再興の想いも込めて城の

   ない城下町(まちづくり)を行った。

  ・城下町は北と東に山、西に川という自然の要害に守られた場所であり、外からの侵入が

   考えられる南には防衛拠点として社寺群(寺町)を配置した。

  ・武家屋敷と寺町の間には商人町と火除け地を配置。

  ・火除け地の構成は中央に土手、両側に堀・門を配置し防御施設の機能を持たせた。

 *このようにまち全体の防御体制を固め各武家屋敷の外周は板塀、生垣とした。

 ◎角館芦野家が断絶した後、角館の領主となった佐竹北家義隣は京都の公家(高倉家)出身で

  あり、跡取りの義明も公家(三条西家)から正室を迎え、京文化が角館に持ち込まれた。

  ・京文化とともに、シダレザクラが持ち込まれ植栽された。

 

蒲田「江戸旗本屋敷のゾーニングを中心としたエクステリア調査」の一環として

 「江戸東京博物館」が平成22年4月1日~平成25年迄改修の為休館、その前の見学報告

  ・日本橋付近の商家の表店と裏店(使用人の長屋)風景

  ・商家の接客用家屋と庭園の風景

 *模型の出典:江戸図屏風。武州豊嶋郡江戸庄園(ぶしゅうとしまごおりえどのしょうず)

 

中澤:「戦後のエクステリアの歴史」

 エクステリアの仕事場としての戸建て住宅のうち新築住宅の戸数、面積について調べた

  ・新築戸建て住宅の着工戸数の推移(1951~2020まで)

  ・新築戸建て住宅の敷地面積の推移(1978~2018まで)

  ・首都圏一戸建て建売住宅の敷地面積の推移(1955~2019まで)

 

出版についての自由意見

  ・江戸時代の屋敷の資料をどこまで探せるか

  ・「現代のエクステリアに役立つ」の視点が大事

  ・生活の庭として、これまで積み上げてきたものを整理

 

 次回定例会:5月18日(水)18:00~

 

以上

 
 
■2022年3月度 歴史委員会 定例会議事録
 

日時:20220316日(水)1800ZOOMによるオンライン会議

 出席者:浅川(ZOOMホスト)、犬塚、蒲田、須長、伊藤、中澤

 

◆議題-1:活動報告会の反省

・一年間の活動報告としては、中途半端であった。

・各自がそれぞれのテーマで活動している歴史委員会の現状報告としての報告でやむを得ない。

・次回の活動報告会については、その前に今回の反省を踏まえて話し合いをする。

 

 ◆議題-1:活動報告会の反省

浅川:「江戸・明治の武家屋敷から門と塀・柵の歴史を探る」

   今年度は、調査報告済地区も多くなっているので、毎月1~2地区の考察を整理したい。

 

犬塚:「江戸期の各地域における下級武士の生活」

    これまで報告してきた事例のうち、佐倉、松代、知覧、角館の4地区をより具体的な

    問題点を整理した調査を行い、歴史委員会的視点から内容の充実をさせていきたい。

 

蒲田「江戸旗本屋敷のゾーニングを中心としたエクステリア調査」

 〇これまで同様の調査物件の報告がありました。

  今月の調査分(事例-10)今川要作上邸絵図

   屋敷所在地:裏六番町番外40(現在の東京都千代田区三番町、四番町、六番町)

   普請時期:不明 家禄:不明

   敷地間口:10.25間 敷地奥行:30.00間 敷地面積:307.50坪 

        主家面積:83.75坪(築年不明)

 出典:(東京都公文書館所蔵、至文堂 城郭・侍屋敷古図集集成 江戸城II 侍屋敷)

  *屋敷の特徴

   ・間口が狭く、細長い敷地であること。

   ・接客用の座敷前の御庭が狭い。

   ・当家主人御の居間前の庭、家族の居室前などの庭空間が広いこと。

 

 〇来期の目標として

   ・これまで、10物件の旗本屋敷を作図してきたので、もう少し進めながら旗本屋敷の

    ゾーニングの整理をする。

   ・今後は、商家について三井文庫からの資料を調査したい。

 

伊藤:「エクステリア3DCADの歴史」についての調査

    及び「戦後のエクステリアについて」も手伝いたい。

 

中澤:「戦後のエクステリアの歴史」についての来期の目標

   (1)エクステリアの仕事場としての戸建て住宅について

   (2)エクステリア工事関連技能士(ブロック建築、タイル張り、石材施工、左官、造園)

    について

   (3)メーカーの代理店(エクステリ業界にとって、物流機関・コンサル・施工応援部隊等

    他の業界には無い特異な業界)の設立とエクステリアへのかかわり方

   (4)3DCAD(現代のエクステリアにとってなくてはならない存在の3DCAD)の歴史

    と業界での位置

   (5)メディア、各種学校等

 

須長:しばらく休んでいたので、皆さんの話を聞いていたい。

 

◆議題-3:(その他)

   ・定例会は、今まで通りのスタイルで行う。

   ・近い将来(2年後位)、歴史委員会としての第2回目の出版をすべく準備をする。

    ・その内容についても、毎月の定例会の議題として、継続していく。

 

次回定例会は、4月13日(水)18:00~

 

以上

 
 
 
■2022年1月度 歴史委員会 定例会議事録
 

日時:20220126日(水)1800ZOOMによるオンライン会議

 出席者:浅川(ZOOMホスト)、犬塚、蒲田、内田、中澤

 

◆議題:222日)活動報告会について(歴史委員会の報告概要)

①個人テーマ4人の活動を紹介(発表順に記載)

・犬塚:「江戸期の各地域における下級武士の生活(角館・米沢・佐倉・松代・知覧)」について

(内容の説明あり)(委員会の紹介及び司会を含む)

・蒲田:「江戸旗本屋敷のゾーニングを中心としたエクステリア調査」(内容の説明あり)

・浅川:「地方の武家屋敷から郊外住宅のエクステリアへの流れを考える」(当日用資料済)

・中澤:「戦後のエクステリアの歴史」(当日用資料済)

213日までに当日使用する資料を中澤へ送る。⇒その集合資料を中澤から事務局へ送る。

 

蒲田:【江戸旗本屋敷のゾーニングを中心ふとしたエクステリア調査】

事例-9:岡部五郎太郎屋敷の紹介

出典:岡部五郎太郎_絵図

(東京都公文書館所蔵、至文堂 城郭・侍屋敷古図集集成 江戸城II 侍屋敷)

家禄高: 1300

屋敷所在地:新通壱番町102(現在の東京都千代田区麹町界隈)

普請時期: 未確認

特記事項:作図は侍屋敷古図集記載の図面から行った

敷地間口:25.00間(計算値)/CAD作図値31.70

敷地奥行:29.25間(計算値)/CAD作図値29.03

敷地面積:706.05/CAD作図値920.03

主家面積:128.44坪(2階床面積 17.00坪)(図面の掲載は省略)

*屋敷の特徴:この屋敷の原図は、各外部空間がしっかりと塀で区切られている。

 

◆犬塚:【各地方武家屋敷の調査比較するにあたり

《調査の目的》

・全国各地の武家屋敷を知ることにより江戸時代の武家の生活について理解することを目的とし、

弘前、角館、米沢、佐倉、江戸鉄砲百人町、松代、島原、知覧について調査。

《武家屋敷》

・本来武家屋敷とは上級武士が住まう邸宅であったが、それらが消滅した現代、中級・下級武士が住まう。

「侍屋敷」を武家屋敷と呼ぶ。

・上級武士とは100石取り以上を云い、騎乗を認められ知行取り(領地を持ち年貢を徴収)

・中・下級武士とは蔵米取り(切米)で身分に応じた米を支給された。

50石取りの収入

1石〓10斗 10斗✕0.4(46)4斗。精米して35升 幕府は35升を1俵とし

50石は50俵 当時米1俵は約1(現代の金額で約10万円) 故に50俵✕10万〓500万円

・武家屋敷は身分が高いほど主君の居所に近く配置された。

・藩の軍事防災などの理由から位置、形態に違いがある。

《武家の格式》

・武家屋敷は主君から与えられ身分が変われば屋敷も移動した。屋敷には塀・門・式台を構え書院造りの座敷を設けるなど武家の格式が重視された。

《武家の生活》

・江戸時代も中を過ぎると武家の生活は苦しくなり野菜などの自給自足、内職などが行われた。

 

◆中澤【戦後のエクステリアの歴史】

・ハウスメーカーの歴史(各会社の創立年)と時代について

戦後(1948年)の戸建て住宅の着工件数推移のグラフに各社の創立年を記入、その関係性を

見ると1970年代の住宅ブームの前に多くのハウスメーカーが創業開始していて、創業者の先見

性を感じる。

 

(グラフの掲載は省略)

 

次回定例会は、316日(水)1800オンライン会議にて

 2月度は、活動報告会があるため開催しません)

3月度は年度末のため、今年度の活動反省と来季の活動方針、目標などの報告をお願いします。
 

以上