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2021年 歴史委員会…定例会議事録

■2021年2月度 歴史委員会 定例会議事録
 
日時:2021年02月10日(木)18:00~ ZOOMによるオンライン会議
出席者:浅川(ZOOMホスト)、須長、蒲田、犬塚、伊藤、中澤
 
議題:「各個人の研究活動テーマ」についての発表
 
犬塚:テーマ「江戸期の各地域における下級武士の生活」について
・松代、弘前の武家屋敷を文献ではなく、現地踏査をして、野菜畑など身近な生活の庭を見てゆきたい。
・以前に松代、弘前の武家屋敷を見学したが他の武家屋敷も現地踏査し、果樹、薬木、野菜などを植栽した生活の庭を見てゆきたい。
・地元の研究家等の話を聞くことを重ねてゆきたい。
・復元した時の平面図など地元の研究資料を収集してゆきたい。
 
浅川:テーマ1「地方の武家屋敷」について
・各地の武家屋敷のレポートがあるので収集、収録している状況。
・先日は、山口・萩へ行ってきた(現地の写真を紹介)。
・これまで見てきた街並みを地図に落とし込んでいる。
 
蒲田:「江戸旗本屋敷のゾーニングを中心としたエクステリア調査」
・旗本・池田家屋敷(表四番町、三千石)の各庭の分析作業の一例を示す。
・池田家屋敷は、敷地面積は1,307坪あるにも関わらず、接客のための庭園(御庭、庭)はかなり小規模。
・度量衡を確認し、平面図・配置図の作図を行い詳細な分析をおこなう予定。
 
浅川:テーマ2「戦後の住宅地について」
・切り口は、年代、社会状況、車
 
中澤:テーマ「戦後の造園、エクステリア業界推移」未だ年表を作成中で、その切り口を
・敗戦後の政治と社会状況(占領下の暮らし、住宅政策、土地政策)
・進駐軍工事の中の造園工事
・アルミメーカー、レンガ・ブロック製造会社の企業化
・ハウスメーカーの創立と団体設立
*今後は「エクステリア業」「メディア」「CAD」など
 
 
須長:テーマ「戦後の洋風デザインの造園、エクステリア」
・戦後の洋風デザインに影響を与えたと思われる、ワシントンハイツ等GHQ関連の文献調査中。
・作図担当をしたと思われる「小栗 玄」について知りませんか?
(農耕と園芸編集部 わが家の庭 : 作り方の手引 園芸手帖編 誠文堂新光社, 1952 内に
子供本位の楽しい庭 小栗玄 / p34 (0020.jp2)として執筆している、とのこと。
 
詳細は、国立国会図書館、デジタル版 請求記号629.2-Se118w  国立国会図書館書誌ID000000888665
 
 
伊藤:戦後のエクステリア特にCADについて興味がある。
 
 
その他連絡事項
・エクステリア学会の総会は、6月25日(金) 時間は未定(昨年までは、午後1時頃から)
オンラインでも参加できる模様
・活動報告会は、2022年2月開催予定
 
*次回定例会は、3月17日(水)18:00~(ZOOMによるオンライン会議)
 
以上
 
 
 
■2021年1月度 歴史小委員会議事録
 
日時:2021年1月13日(水)18:00~ ZOOMによるオンライン会議
出席者:浅川、須長、伊藤、犬塚、中澤
 
議題;テーマ:『発表済み「馬琴の庭を推理する」の訂正、資料の補完』
 
中澤よりこれまでの作業経過とこれまでの話題点に説明する。
1.井戸の位置(丸型桶、洗い場、釣瓶がついていたか?)
東京都水道歴史館(TEL03-5807-9041は1/11までの休館をコロナの影響で2/7まで休館延長)
ここの資料は、相当古いものまで揃っているようです。(取材は事前の電話でとのことです)
 
2.縁先手水鉢(現データは、つくばい)→縁側から使用できるように
3.池の大きさ
4.南側にまで縁側があったか
5.敷地の大きさ
6.間取りなど
 
犬塚氏より
・東京都水道歴史館へ行って、上下水道の引き込み位置を問い合わせしたい。
・同様に、現地に行って周囲の敷地高低差などを確認したい。
(池を掘ったとき、自然に水が湧き出る、流れ出る要素がなかったか?土質はどうだったか?)
・竜居先生の文章を読むと、イメージが違う。
 
竜居竹之介著 おりおりの庭園論 庭を通して日本の文化を考える 建築資料研究社 1991年
内に滝沢馬琴の庭の池についての記述がある。同書P59-60 "好み"次第で作庭者も交替 の文章より
 
『もちろん息子が釣ってきた魚を放つ目的などもあるから、そう浅くするわけにはいかない。それはよいとしても水の便が悪いからそうそう水位は上げられない。座敷の中から水を見て涼むなどはとんでもない話で、
ちょうど蓋のない穴蔵を見るようだった。夏の渇水期ともなれば水が減るから筧を用いて井戸の水を汲み入れるという騒ぎである。
 おまけに冬は霜がきつくて土が凍てつき、それが原因で池の縁の土が崩れてしまう。これは危ないといって周囲に柵をしたり、芝を植えて土坡を養生すると来ては、手のかかること甚だしい。
 ところがこの池などは庭造伝とまったく見関係で、馬琴自身の好みでつくっているのである。現実の江戸ではこんな思いで不細工な池をつくっていたのに、庭造伝そのものにはこうしたてのかかる池づくりのサンプルはまったく姿をみせていないのだ。
 実証派、考証派として著名な馬琴ともあろうものが、なにか事を起こすについて研究しないわけはなくこの池の場合もテキストらしきものは物色したろうが、"好み"のものに出会わぬまま、自身のデザインで出入りの植木職を駆使してつくりあげたのであろう。
 しかし苦心してつくったこの池、どうも息子の病気の原因らしいということで結局、埋めてしまった。ところが方位学の面から見て、埋め立てた日時がわるかったと知るや、また別の吉方の土を取り寄せて一部埋め立てのやり直しをしたりしている。つまり、馬琴が池をつくるについては、方位学の力を心底、頼んでいたといえるだろう。見方を変えれば、自身のある知識人の馬琴にとっては、庭をつくることよりも、つくること、できた庭が吉凶にどうかかわってくるかの方がはるかに大事だった。「改過筆記」という著書に記されたこの池の事件を見ると、その辺の馬琴の心の動揺が手に取るように伝わってくるのである。・・・・・・・・・』
 
・東京都水道歴史館へ紙面(FAX)で問い合わせをしましょう。 → 回答はこちらから
 
以上