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2018年11月7日(水)11月度 定例会議事録

2018年11月7日(水)11月度 定例会議事録
 
議題「庶民の生活の中の庭、町屋の中のエクステリア」について
 
1.須長、浅川、犬塚三氏より「村野家住宅」訪問の報告あり(みどりの中の国登録有形文化財)。
当家は、天保年間から続く現代にまで続く豪農(肥料、農業用品の小売り、金融等)の住宅と庭園。
〇江戸郊外『武蔵野に残る豪農の住宅と庭園』があった。現在も残る証の一つ。
 
2.須長氏より
長谷川時雨(はせがわしぐれ1879年~1941年)劇作家、小説家。代表的著作『旧聞日本橋』は、生家周辺の様子、そこに住む人々等のついて丹念に回想した回想録で、明治初期の日本橋の商家の住居風景が描かれている。下の絵は長谷川時雨の父(長谷川渓石)が描いた浮世絵師歌川国芳の住居(日本橋玄冶店付近)で、渓石の話「国芳の家は、間口2間、奥行5間の内長谷川渓石画 浮世絵師歌川国芳の住居前の方が少しばかりの庭になっていた。外から見えるところへ弟子が机に向かってすわっていて、国芳は表面にすわっているのが癖だった」。
簡単な竹垣につる草がまとわり付いている、夏の風景か? 通りから画質が丸見え。(「住居皆格子作りの玄冶店」という句があるくらいだから国芳の家はめずらしいくらい開放的だったことが分かる。
 
長谷川渓石が描いた浮世絵師歌川国芳の住居
 
 
 
 
〇江戸日本橋の中級町人の住まいにも、わずかながらも「にわ」2.3本の植木も見えた。
3.犬塚氏より(3点の紹介)
①平成14年度 日本造園学会 研究発表論文の紹介
・神田圭一・鈴木誠著:研究発表論文:夏目漱石の庭園観に関する研究 J,JILLA65(5).2002
 
漱石作品の中に、多くの庭の描写シーンがある。全作品32作品中27作品に出てくる。79シーンが庭の描写。
植物名が98回。庭の施設「敷石」「池」「草花」・・・190回あり云々。
②漱石と建築:文豪が見た明治・大正の日本の街並みと住まい 
漱石の庭園観、建築観はおいても、明治の中流階級の住まいには、「にわ」らしい施設があったようだ。
 
 
4.中澤より(滝沢馬琴の庭について)
丸山宏著「滝沢馬琴の庭造りと家相」J.JILA60(5)1997 日本造園学会研究論文より
江戸の戯作者滝沢馬琴の日記つとに有名。その庭造りについても記述が多く、息子の家の庭(池)の配置図なども研究論文から見られた。以下その研究論文から抜粋した。
 
 
滝沢馬琴の庭(方位は中澤が入れた)
 
・上図は真山青果著随筆滝沢馬琴講談社1952より
・真山の著書は、馬琴の居住地の図面まで言及あり
・馬琴日記には庭つくりと園芸趣味、家相方位等
・上図は、息子宗伯(医者)の自宅
・東と西の境は、建仁寺垣で仕切られ
・道路に面して南側は、板塀と竹垣(詳細不明)
・文政6年東の隣家を買い取ると池を南側に掘る
(長さ二丈四五尺、深さ一丈(約3m)
・文政11年(1828年)池を埋めるまでこの池で鯉・鮒
金魚を飼っていた。時には釣りをし、鯉を食べた
・庭は「表庭」(「正庭」とも)は、松類が植栽
・玄関脇に、庭へ入る中門があった
・「表庭」を「おく庭」「菜園」「花壇」と仕切る内垣があった。
 
 
この他には、植木屋の事、家相の事多くの記述有
 
〇江戸の町人でも一戸建てに住み、庭を楽しむ者もいた。
 
今月の話題の中にも、いくつかの町人の住まいとその庭の姿が見えてきました。
 
 
 
5.12月の定例会予定
日時:12/12(水)16:30~
場所:建築資料研究社様 会議室C
住所:東京都豊島区池袋2-50-1
*定例会後、忘年会を予定しています。
 
以上