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2018年10月17日(水)10月度 定例会議事録

2018年10月17日(水)10月度 定例会議事録
 
◆議題の前に
1.川俣氏より内田様のご紹介
2.蒲田氏よりエクステリア学会の趣旨説明
3.浅川氏より街並み委員会主催の見学会へのお誘い
[11月21日 つくば市 郊外住宅地「景観協定&街並みガイドラインのある街」]
4.犬塚氏より今回テーマの沿った見学会の提案あり
「村野家住宅」:埼玉県所沢市大字坂ノ下437番地柳瀬荘構内(写真:主屋)
大庄屋を勤めた農家で、江戸時代末期の農村風景を今に伝える重要文化財
個人住宅であるため普段は見学できません。
特別公開日:11/7,11/23往復はがきで申し込み(1枚のはがきに3名まで)
・11/7の申込者(犬塚、須長、浅川)
 
 
 
 
◆議題(江戸庶民の庭)
1.蒲田氏より先月取り上げられた深川江戸資料館、小張洋子氏との面会時の話題について
①資料館の史料:『江戸図(寛文、元禄、天保等)』『江戸名所図会』『隅田川両岸絵巻』『菓子話船橋』『守貞漫稿』錦絵『名所江戸百景』『絵本江戸土産』戯作『浮世床』町絵図『佐賀町惣絵図』
②三井家は、表長屋、蔵、裏長屋セットで貸していた。
2.中澤より 飛田範夫著 江戸の庭園(将軍から庶民まで)より抜粋 
①名主の庭自分の田畑ももてない農民も多い中、名主の層は立派な屋敷を構え庭園も造った。
・亀戸村の名主 喜右衛門の庭中「臥龍梅」を八代将軍吉宗が見に来ている『実記』
・駒込の名主 今井五郎兵衛の庭中「一行寺」という名高いカエデがあり、11代将軍家斉が訪れている記録
②町人の庭(先月取り上げた、贅沢禁止令でも取り調べられた浅草平右衛門町に居住
名主平右衛門の庭等の記録がある(浅草町方書上)
・深川木場材木問屋 天満屋惣兵衛の屋敷にサクラ堤
・西ヶ原の太右衛門の抱え屋敷の別荘の花壇に紅白のボタン(抱え屋敷は町人もてた)『北区史』
・駒込の小間物問屋 木屋九兵衛が先の今井五郎兵衛の屋敷隣に別荘、庭には石灯篭、種々の庭石『遊歴雑記』
③料理屋の庭については、先月の報告の通り
〇もっと市中で、より日常的住宅の中での史料が見たい。
3.山沢氏より 当時の和歌から探してはどうか
4.須長氏より 俳句、狂歌、明治初期の小説を丁寧に読むとあるかもしれない
5.高橋氏より 先日 野田市 茂木家の四ツ目垣を改修したとの事(写真を提示:建物は重要文化財)
6.犬塚氏より、先月取り上げた資料の中の一つ
高田 眞人著(住総研 研究論文集no.39  2112年版)
「夏期に熱を溜め込まない江戸町人の空間設計手法の検討」町屋敷の空間構成と緑が屋外生活空間の熱環境の及ぼす影響
 
論文の趣旨とは別な視点から
「江戸町人地に庭、樹木は存在したか」の資料を探る資料として拾い読みした。
・町人地の緑が占める割合が小さく、植木鉢等の形態で小規模に導入されていたと広く認識されているが、江戸後期の史料、特に幕末と明治初期の古写真を中心に江戸町人地において草地、樹木の存在を示唆するものが散見される。
・町人地の明地(所有者がいて、管理されている土地)と空地(所有者がいない土地)
公共的明地(会所地、河岸端、広小路、火除地等)私的な明地(長屋でも住宅と組み合わさって、裏店の基本的な生活空間をなしていた土地)
・明治初期に浜田江戸時代の空間が残っていて、京橋地区の街区の裏側には茶畑や野菜畑があった等々
・幕末の古写真をよく見ると樹木が見える
・『守貞漫稿』内「見越しの松」がある
・江戸時代に江戸町人の間で庭つくりが流行した。
・多くの町人が裏庭での庭づくりの際に参考にした家相書に注目したい。(市中の庭つくりに影響した)
・吉、凶の庭木
・丸山宏:江戸後期の家相書と庭造りの吉凶 ランドスケープ研究 61(5)P379~384 1998
7.次回11月定例会について
日時:11/7(水)16:30~
場所:建築資料研究社様 会議室C
住所:東京都豊島区池袋2-50-1
以上