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2018年12月12日(水)12月度 定例会議事録2018年12月12日(水)12月度 定例会議事録
場所:建築資料研究社様 会議室C
住所:東京都豊島区池袋2-50-1
参加者:須長、犬塚、蒲田、小沼、浅川、山澤、高橋、中澤
1.犬塚氏提供:洛中洛外図屏風(歴博甲本)が、江戸図屏風の町屋敷の会所地に似て、町割りの中央に植栽地が見える。
京都の賑わいと四季の景観を描いた洛中洛外図屏風のうち、現存最古のもの。国立歴史民俗博物館が所蔵する二点の中世の洛中洛外図屏風のひとつで、旧蔵者名をとって「町田家本」「三条家本」とも通称される。描かれた景観の年代は、大永5年(1525)と考えられる。片隻138.2×342.8cm
図-1 洛中洛外図屏風(歴博本)右隻の一部(左は第三扇上、中は第二扇上、右は第一扇上)
図-2は江戸図屏風で第三代将軍徳川家光の事蹟を描き込んだ六曲一双の屏風。成立期江戸の景観を描いた。町屋敷の中央に植栽が見える。
図-3は、江戸の標準的な町割で、道幅6丈(=60尺)の縦横の道路に60間4方の土地を区切り道路から奥行き20間を4方から切り取って町人地とした。町人地は、短冊状に区分され、個々の町屋となった(間口5間)。
中央の20間4方は空き地で、会所地と呼ばれた。会所地は、土盛りをして造成された町屋よりも一段低くなっており、雨水や下水の排水に利用されたり、ごみ捨て場ともなった。会所地は、後にしだいに埋め立てられ、増大する江戸の人口を収容するために、細い路地を作り、裏長屋として利用されていった。
図-1 図-2:国立民族博物館
図-3:図説江戸考古学研究辞典(江戸遺跡研究会編・柏書房)
2.2月の活動報告会の件について
①テーマ:「日常的生活での庭・使う庭」の歴史
②発表者:犬塚修司氏
テーマとして取り上げた理由
江戸時代の庭園というと大名庭園が取り上げられてきたが、庶民の日常的生活の場としての庭、エクステリ
もあったのではないか? 現代に生かせるものがあるはず。
テーマに沿った主な活動
①文献調査:毎月の議事録に
②実施踏査(村野家見学):11月7日(水)実施
◎江戸の町人地のエクステリア(門や塀)としては、守貞漫稿の江戸家屋がある。
(近代エクステリアの歴史 P18 図1) (同 P19 図10)を参照
然し門や塀の内側の絵がない。
・江戸図屏風→江戸町割り→会所地(明地、空地の植栽?)(10月議事録掲載)
・表長屋(間口5間×奥行20間の内一部奥庭は、空地表示もあり、物干、物置、植栽などが予想される
→裏付けとして、江戸の出版物に「築山庭造伝」「家相と吉凶木」が多い。
→江戸には植木屋、花屋が多かった日記記述がある(柳沢信鴻著「遊宴日記」)。
・西ヶ原の太右衛門の抱え屋敷の別荘の花壇に紅白のボタン(抱え屋敷は町人ももてた)『北区史』
・駒込の小間物問屋 木屋九兵衛が先の今井五郎兵衛の屋敷隣に別荘、庭には石灯篭、種々の庭石『遊歴雑記』
・滝沢馬琴の池の庭の図(11月度議事録の掲載)
・長谷川渓石画浮世壊死歌川国芳の住居の図(11月度議事録の掲載)
◎江戸郊外『武蔵野に残る豪農の住宅と庭園』があった
・「村野家住宅」:埼玉県所沢市大字坂ノ下437番地柳瀬荘構内
大庄屋を勤めた農家で、江戸時代末期の農村風景を今に伝える重要文化財(11月度議事録の掲載)
・旧吉田家住宅公園(江戸期:豪農、名主、醤油醸造、幕府の小金牧の管理など)(6月度議事録掲載)
(明治期の銅版画で描かれた風景が残る)
◎明治初期のエドワード・S・モースが描いた、商家の内庭スケッチがあり、江戸末期の姿を思わせる。
(近代エクステリアの歴史 P32 図5)を参照
3.次回定例会は平成31年1月23日(水)
以上
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