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2024年 歴史委員会…定例会議事録歴史委員会
◆◆主なテーマ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「江戸時代の庶民の生活の中の庭、町屋の中のエクステリア」
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■2024年9月度 歴史委員会 定例会議事録
日時:2024年9月6日(水)18:00~19:00 ZOOMによるオンライン会議 出席者:浅川(ホスト)、須長、高橋、伊藤、吉本、中澤(敬称略) (台風10号の被害対応の為、山澤委員長不参加)
◆議題:(各委員からの発言、近況報告) 〇須長: ・「目標は、1960年から10年間のエクステリア、造園関連の出版についての調査」。 ・最初の10年間(1960年~1970年)について纏めると外構に関する本が多数出版された。 その背景には住宅ブームがあり、当時は宅地分譲だったので、住宅に関する建物、 インテリア、外構のトータルシリーズ化の出版も多かった。 ・この10年間の社会は高度成長時代であり、一方で大気汚染等の公害問題も起きた。 ・造園業界ではこれまでの庭園を造るとは異なり大気汚染に耐えられる樹木を生産・ 植栽する「緑化産業」という言葉も生まれた。 ・そしてその大きな転換期は1964年の東京オリンピックの開催であった。
〇高橋: ・1960年代は生まれいなかったので、近代造園史(粟野 隆著)や当時の写真集を見ている。 ・造園家「中島 健」の研究会に参加している。 ・(国交省依頼)10月中旬にヨーロッパへ日本庭園技法や日本の文化(茶道)についての 講演旅行の予定。 ・住宅造園工事で造園業者と外構業者の立場が逆転したのは、いつ頃か? (1970年代頃で、住宅外構工事の主な素材がブロックになったことが主因だと思う/中澤)
〇伊藤: ・9月には資料収集の予定。
〇吉本:飛岡健著「インテリア・エクステリア事典」の中で ・あいまいな境界 エクステリアの中間領域としての「縁側・廊下」について。 (源氏物語絵巻、知恩院縁起絵巻などを例に) ■インテリアエクステリア事典(抜粋) 続き
3節 境界領域における言語・文芸・住居 境界の曖昧な空間こそ、日本文化の特色だと思っている。といって住居の境界を限りなく曖昧化すれば、そのまま自然へ近づくものとは考えていない。いかにそれが素朴なものとはいえ、家と名づけられる限り、それは自然ではなく、反自然の構築物なのである。 どんな住居であっても、自然発生的なものは一つもなく、どれも計画して造られたものである。それも身近な例で、自分が家を建てることを考えてみればよい。家を建てるということは物語の構成をえがくこと。そして出来上がった住居もまたフィクションであって、そこに住むことによって新たなフィクションを作り出している。実際の建築には設計者、建築業者が作業に加わるようなドラマも生まれるわけで、このことを門内輝行は、『建築における表現行為』という本のなかで、 「建築は何らかの意味の生産に関わる働きを持っていることから、言語なようなものと捉えられ、建築言語の概念が用いられる。ここでは多様な記号現象を生み出す建築を、記号体系として把握し、それを建築言語と呼ぶ」と書いている。これほどまでに言語と建築は密接であり、おなじ構成原理によって成り立っていることに注目しておくべきだろう。それというのも言語をつかって建築する世界も、木材やセメントなどを使って建築する世界も、どれも人間が構想したものだからだ。 日本人はイギリスなど発達した個人主義に生きる人間ではないわけで、いつも気になるのは周囲の人々との関係である。単に迎合というのではないが、外部を遮断することで内部を確立するのではなく、また一句ひねるにも常に俳句仲間が必要なのであった。そのため住居を救っても、屋根には庇を出し、軒下には縁や濡れ縁をつけたり、三和土(たたき)の土間などを作ってきたのであろう。また出来るだけ壁で仕切らず、移動できる屏風でもって装飾性豊かな仕切りとした。インテリアあるいはエクステリアとも決めかねる空間を作り、日本人は長くその空間を以下にデザインするか細心の注意を払ってきたのである。 (参考:源氏物語絵巻 竹河Ⅱ)
インテリアあるいはエクステリアとも決めかねる衝撃的空間を作り、日本人は長くその空間をいかにデザインするかに細心の注意を払ってきたのである芭蕉もまた俳句によって、空間デザインに腐心した一人で「山も庭も動き入るや夏屋敷」と境界の微妙さを現象化したところに、その賃骨頂を見るべきであろう。 参考(法然上人絵伝ほうにんしょうにんえでん)知恩院 京都・知恩院に伝わる48巻本『法然上人行状絵図』は、鎌倉時代末期の作とされ、それまでの法然伝を集大成したものであり、法然・浄土宗・知恩院の三位一体の関係を明らかにしたものとして知られる[1]。紙本着色。国宝[2]。
漆間時国(うるまときくに)の家(法然上人絵伝絵巻より)
官職(地位が高い)
屋敷は、鎌倉時代の後期には囲われている。 藁ぶき+土塀+通用門(門被りの末が配置) 離れに作業小屋があり 家屋には、広く縁側(中間領域)があり下屋がある。 室内は、広く空間を仕切るのに屏風(パーテーション)が使用されている。
日本文芸の中に現れた境界領域の問題をわび、さび、幽玄の系列と風流、婆沙羅、趣きの系列から考えてみても、いずれも伝統的な理念であり、今日に引き継がれている思想だと思う。そのいずれの系列も、最も大切にしているのはインテリアとエクステリアの間に介在する中間領域であった。文芸においては伝統的に、境界領域の空間をデザインすることに最大の努力を払われていることを見てきたが、住居においてもまた境界領域は大切な区間であったと思う。 繰り返し言えば、人間は構想して物語を書き、歌を詠み、俳句を作る。芝居だって同じことだ。そして住居も、それはまぎれもなく人間が構想し建築したものである。(村上 譲)
〇中澤:当初、ガーデニングブームとの関連性からウッドデッキについて調べてきたが、 すでにガーデニングブームは過ぎ去っても今なお、多くの人がウッドデッキを 計画している。皆さんのウッドデッキに対する考えをお聞きしたい。 (高橋): ・他に提案するものがない。 ・もう一つの部屋が欲しい(建ぺい率関係)。 ・管理が楽だ(樹脂製デッキ) (須長): ・格好いい逃げのプラン。 ・屋根がないので利用が少ない。 (浅川):最近の傾向として ・大きな面積のテラス・デッキが多くなった。 ・居間の延長として。 ・室内から見ると、借景の要素として。 (吉本): ・問屋からの視点では、人工木デッキが良く出荷されている。 ・設計者としては、部屋から庭へ出るのに段差が少なくするために提案してきた。 (伊藤): ・屋内の延長として提案している。
〇浅川:継続して整理・研究してきた各地域の塀(城下町の塀)について、見通しがついた。
◆次回定例会:10月度定例会予定は、10月8日(火)18:00~ ZOOMにて
■2024年8月度 歴史委員会 定例会議事録
日時:2024年8月6日(水)18:00~19:00 ZOOMによるオンライン会議 出席者:須長、浅川、高橋、伊藤、中澤(敬称略)
◆議題:(各委員からの発表報告) 〇中澤:ウッドデッキについての4つの資料を事前配布済その概略の説明。 ウッドデッキ-1 戦後日本に紹介されていたアメリカの雑誌とその設計事例 1.1952年 ピーター・シェファード著 Modern Gardens イギリス出版 (P49:別荘のデッキ。P45:プール周囲のデッキ。P54:庭園リフォーム内のデッキ) 2.1978年PROSESS:Architecture NO.4 ロ-レンス・ハルプリン (カリフォルニアにあるハルプリンの自宅に付随する夫人の使用するダンス・デッキの例) 3.1974 雑誌 Garden Guide ①ガーデンレッドウッドの広告(カリフォルニアの豪華な木材が安い) 4.1979年 デヴィッド・フレイジャー著 家のまわり(家の廻りのランドスケープの意味) ①ジャグジー周囲のウッドデッキと木製フェンス ②パーゴラとウッドデッキ、木製フェンス ③住宅で入り口横の小さなウッドデッキスペースとベンチ等々 ウッドデッキ-2 日本の書籍、雑誌に紹介されていた設計事例 (須長氏が7月に紹介した書籍に加えて、住宅雑誌「新住宅」で掲載された2件を紹介 ①1983年7月号P25掲載事例(豊中市 一之瀬邸:居間掃き出し前窓前の≒6㎡のデッキ ②1990年10月号P61掲載事例(樹下の家」の例: 1F,2F 上下同位置の≒ベランダ風デッキ ウッドデッキ-3:旧カタログから見たTOEXと新日軽の木製品(人工木材を含む) 販売推移 ・1990年 TOEX (天燃木)木製フェンス、木製カーポート、ウッドデッキを販売開始 ・1992年 新日軽 アルミ枠木装パネル門扉、フェンス、カーポート、スクリーンゲート ・1994年 TOEX 人工木門扉(天然木から新素材の木調素材:グラスファイバー) ・1992年 新日軽 アルミ枠木装パネル門扉、フェンス、カーポート、スクリーンゲート ・2000年 新日軽 木樹脂フェンス(木樹脂:アルミ形材をベースした表層部で木粉入樹脂 ・2002年 TOEX人工木材「樹の木」を発売: 基礎部アル形材、床板:人工木木粉入り樹脂 ・2004年 新日軽 木樹脂シリーズの販売(デッキ、門扉、フェンス、トレリスなど) ・2006年 TOEX 人工木材 樹の木Ⅲの発売 *1990年代は天然木からスタートし2000年代から人工木(合成木材)へ移行していった。 主な理由は、天然木の腐食、虫害、割れ、反り、強度などの改善の為 ウッドデッキ-4:日本エクステリア工業会の出荷金額の推移と合成木材の構成比 (直近9年間) ・2015年度~2023年度のエクステリア工業会の年間出荷金額は、2300億/年~2500億円/年。 ・その内合成デッキの出荷金額は150億/年~190億円/年、構成比率は、約6.5~7.9%程度。 *天然木材のデッキ出荷数量は不明等一部のデータだけだがウッドデッキが現代エクス テリア施設の一部あることを示している。
【出席者からの意見】 ・レッドシーダーの塗装をしていて長くて5年(高橋) ・日本ウッドデッキ協会がイベントに出展している(伊藤) ・積算ポケット手帳(建築編、外構編)にもデッキ材メーカーに資料有。 1972年創刊(伊藤)
〇高橋:戦後のエクステリアについて、映像や多くの職人さんから話を聞いての感想。 ・1950年代:生垣、竹垣、板塀が多く街路樹が小さい。 ・1960年代:生垣、竹垣、板塀が多く街路樹が小さい、これは1950年代と同じ。 加えてブロック塀とネットフェンスが見られる。街が明るいなった。 首都高速道路が見える。貧富の差が出てきて、それを受け入れている。 ・1970年代:これまでと違う文化。大量生産時代。調味料の容器がガラスからプラに。 街の厄介者が主人公になる。きれいな街から汚い街へ。
〇伊藤:協報さんのバックナンバーから情報を収集している。 日軽情報システムがどうしてエクステリア3DCADから撤退していったか?
〇浅川:角館を除き武家屋敷の中に板塀が少ないのはなぜか? 〇須長:少しづつ本を読んでいる状況
その他欠席の吉本さんから事前資料がありました。 ・「1976年発刊 (1期)にインテリア関連記事が多く掲載されているのは何故か」 に対し編集部に問い合わせてみたが、その理由は不明との回答があったとのこと。 ・インテリアエクステリア事典についての前月からの続報(2節身体論とI・E)詳細省略
◆次回定例会:定例会予定は、9月3日(水)18:00~
■2024年7月度 歴史委員会 定例会議事録
日時:2024年7月2日(火)17:00~19:00 ZOOMによるオンライン会議 出席者:須長、浅川、山澤、伊藤、吉本、中澤
◆議題:(各委員からの発表報告) 〇浅川:各地域の塀(城下町の塀)事前に資料が配信済で、その資料について解説 ・伝統的な塀についての説明 ・各地域背の塀につての説明 考察:地域の塀・柵の設えは防御、防災、気候風土、財政力、階級などの要因に より違いがある。
〇中澤:先月、報告できなかったウッドデッキについての資料2件を事前配布済 ・その資料の紹介(中川木材のホームページ。金井徹氏の論文) ・次回ウッドデッキについて、整理報告予定。
〇須長:中澤の事前配布資料を見て、ウッドデッキに関する1960年代の書籍資料の紹介 (事前にメールにて配布済) ・『庭のデザインブック』三橋一也・石川岩雄、大泉書店、1960(昭和35)年 (ウッドデッキを「家づきのベランダ」、又は「ヌレエン」と表記) ・『庭つくりのすべて』炊江勇、農業図書、1960(昭和35)年 (ウッドデッキを「サンデッキ」と表記) ・『住宅庭園・環境と設計』伊藤邦衛、誠文堂新光社、1965(昭和40)年 (ここでもウッドデッキを「サンデッキ」と紹介) ・『お庭拝見―ガーデンライフ別冊デラックス版』誠文堂新光社、1976(昭和51)年 (特集・テラスの庭の中で、石勝エクステリア設計、施工物件を紹介。図面の表記 および記事でウッドデッキを「テラス」としている) *この時代は、ウッドデッキとの施設名ではなく「ベランダ」「ヌレエン」「サンデッキ」 或は「テラス」との施設名で紹介していて、名称が統一されていない。使用素材は主に ヒノキ。
〇吉井:須長氏の先月の質問(1970年代、雑誌「庭」をはじめ、造園関連誌にもインテリア に関する記事が出ているが、その理由は?)に対する回答の一例として、ガーデン雑誌 「BISS」の歴史を説明。詳細資料は会議終了後配信済 ・1992年5月 婦人生活発行のインテリア誌「私の部屋」リニューアル誌として創刊したのが BISESと書いて『私の部屋ビズ』と呼んだ。創刊当初は不評だった。 ・1993年の早春号からは表紙がイギリスのガーデンフォトグラファー、アンドリュー・ ローソンの写真に変わり、この号には『モネが作ったジベルニーの庭』という特集を掲載 し特集は印象派の画家モネが有名な「睡蓮」のシリーズを描いた庭を、日本で初めて、 カラー写真で徹底的に紹介した。ここで『突然の熱烈エール』。 ・1995年『チャールズ皇太子の庭』という大特集が皇太子ご自身の同意を得て、この号に 掲載された。庭にひざまずき、手袋を泥まみれにして苗を植えている皇太子の写真が早春 号の表紙を飾った。 (チャールズ皇太子の庭の特集は、日本のマスコミ関係者の間でも大きな反響を呼び、BISES 編集部にはテレビや雑誌からの取材申し込みが殺到。女性誌などが相次いでイングリッシュ ガーデンの特集を組むようになった。爆発的なガーデニングブームの始まり) (以下省略)
〇山澤:「経済の発展と庭の発展」をテーマに考えている。 以下の二つの資料(配信済)で、今後のエクステリア業界についても考えていきたい。 ・1963年以後の総世帯数と住宅供給量(自動車普及数表、水道普及率の推移、日本の エンゲル係数の推移、日本緒都市化率の推移) ・「どんな庭を設計するのか」婦人画報社出版
〇伊藤:住宅環境社にて、エクステリア新聞バックナンバーの抜粋をについて (会議後バックナッバー抜粋配信済)
◆次回定例会:定例会予定は、8月6日(火)18:00~
(これまで17:00~でしたので注意)
(会議前後に各委員から報告資料が会員あて配信されました。歴史委員会内の共有資料と
考えますので、取り扱いに注意してください)中澤。 ■2024年5月度 歴史委員会 定例会議事録
日時:2024年5月22日(水)17:00~19:00 ZOOMによるオンライン会議 出席者:須長、浅川、高橋、伊藤、吉本、中澤
◆議題:(各会員の近況、研究項目について) 〇浅川:・郊外住宅地に関する書籍について(須長氏提供分) ・各地の塀、城下町の塀(次回 整理した資料を提示予定)
〇須長:1960年代の出版書籍の特徴として次の3点があり。それは高度成長期の中で これまでの大家族制度から核家族化が進み、住宅ブームが起こる中での出版的特徴か? ①建築家が造園について述べている。(小林清、神谷正信、寺尾信夫、茶谷正洋他各氏) ②上原敬二著「ガーデンシリーズ」「庭園入門講座シリーズ」 ③職人さんへの聞き書き:斉藤隆介著「職人衆昔話」「町の職人」 *吉本氏への質問:1970年代、雑誌「庭」をはじめ、造園関連誌にもインテリアに 関する記事が出ているが、その理由は?
〇吉本:須長氏の質問については、調べてみます。 飛岡健著「インテリア・エクステリア事典」を継続して読み続けている。 今月紹介するのは「引き算の美学」について 『引き算の美学』 一般に、「創造する」という観点でものをとらえる時、人々は現在ある状況に「何かを付け加える」姿勢をもつように思われる。それは住宅の設計しかり、街並みの環境整備もしかり、新しいデザインや新しい色を用いることで一つの新しさ=創造ととらえられていることを強く感じさせられる。しかし、今日の都市の状況を考えた時、限られた公共、住宅スペースの中で、問題を解決するためには、「加える」ことのみでは十分とはいえないように思う。むしろ、逆の発想で、すなわち「何を人工的造形物の中から消去して美や機能を設計するか」が大切なポイントで、その必要性を強く主張したい。 結論からいえば、戦後の急激な経済・社会の発展と、その発展を内から支えた考え方がその一因であったといえる。人々が物質への憧れを強く抱き、その獲得に全力を投入したとしても無理のないことである。しかし、戦後不足していたものは物ばかりではない。同時に心に潤いをもたらすことが緊急であった。物への対処は今日の姿を見れば成功したかのように見えるが、もう一方の心は置き去りにされてきた。とても心まではと思われるが、もし物心両方の調和が図られたなら、もっと別の質への発展を望めたかもしれない。そこで過去を十分に反省した上で、今日の状況に対する新しい展開を始めることが肝要と思われる。 その反省点の一つは、Nothing hereという考え方が支配的であった点である。ここに何もない、だから外から何かを持ってこないと、と考えたのである。公共団体等では、さらに Civil minimumという考え方、すなわち文化的最小限という考え方を導入した結果、各地の固有な伝統を生かしきれず、全国どこでも同じような庁舎、小学校ができ、本来各々の地方独自の優れた香りを譲することのできる街並が、まるで金太郎飴のように似かよってきてしまったのである。以上の認識のもとNothing hereの考え方を捨て、ここに何があった、あるいは、あるというSomething here的考え方を採用し、同時に蓄積された都市空間のコレステロールを排除する方向での発現をすることが、今日設計、演出をする人々には要求されているのである。それは、別の表現を用いれば「何を失って成長するか」ということになろう、 成長とは、得ることを考えることではなく、「成長とは与えられた環境に適応すべく、自らの組織を変化せしめること」というかたちで理解するのである。今日の空間を考える時、何を失って成長するのかという引き算型の考え方は極めて重要なことである。 「何を失って成長するか」は、これからの空間演出者達のモット-になるべきであり、同時に行動原理なのである。(飛岡 健)
〇伊藤:設計支援業務担当になり多忙、調査研究進まず。
〇中澤:今回は、ウッドデッキについて調べはじめた。 自分が仕事としてウッドデッキを設計始めたのは、1980年代のペンション建設ブーム。 別荘地の傾斜地にテラス代わりにウッドデッキを作った。当初はヒノキ材だったが、 多湿の中10年位の耐久だった。益々多くなったウッドデッキについて資料を収集し始めた。 <収集資料:③④は次回提示します> 1.日本のウッドデッキの流行前の外国雑誌等もその後のデッキブームに影響を与えたか。 ① PETER SHEPHERD著 MORDERN GARDENS 1953年 イギリス ② 雑誌Garden Guide 1974 アメリカ(アーリーアメリカン調のデッキ、フェンス等広告誌) ③ PROCESS:Architecyure No.4 ローレンスハルプリン 1977年 アメリカ ④ デヴィッド・フレイジャー著 家の周り1979年 クィックフォックス社 2.アルミ系エクステリアメーカーのデッキ販売の歴史(天然木から樹脂木、再生材木へ) 3.中川木材 ホームページ(ウッドデッキの歴史) 4.金井 徹著「木製、木調のエクステリア製品の流行」(全国エクステリア協会)木材保存論文
◇飛岡 建のデザイン論、思想の話から、最近の住宅エクステリアの計画についての話題 ・アルミメーカーの機能門柱が中心の安直な計画の要望が多い ・植栽を希望しない顧客が多い
〇高橋:上記に意見に対して、現場サイドから現状の現場意見 ・マンション育ちで、戸建て住宅に住む人はメンテナンスをしたがらない。 ・ローンぎりぎりの計画なので、外部に使う余力がない。 ・アルミメーカー以外の素材は、耐用年数の課題が多く、メーカーの商材を使う安心感。 ・凝った設計は、受注額に十分反映されないことが多い。 ・ハウスメーカの下請けの方が収入にメリットが大きい。
◆次回定例会:定例会7月2日(火)17:00~
■2024年4月度 歴史委員会 定例会議事録
日時:2024年4月23日(火)17:00~19:00 ZOOMによるオンライン会議 出席者:山澤(ZOOMホスト)、須長、浅川、高橋、伊藤、吉本、中澤
◇連絡事項: エクステリア学会の総会について ・会場 :深川江戸資料館(〒135-0021 東京都江東区白河1丁目) ・日時 :2024年6月19日(水)13時30分~ ・総会 :14時00分~15時00分 ・記念講演:15時15分~16時30分 技術委員会出版記念(仮題)「安心・安全施工の心得」 ・懇親会 :17時00分~19時00分(居酒屋 くし家 清澄白河店)
◆議題-1:今期の歴史委員会の事業計画について(山澤委員長) 1.中期目標(2026年2月出版を目指し(タイトル:「戦後のエクステリア史」)に従い 各会員ごとの担当項目の資料収集をし、月一回の定例会で進捗確認をする。 2.エクステリア業界の先輩たちの話を聞く。 3.他庭園見学等。
◆議題-2:各会員の近況、研究項目について) 〇浅川:仕事等が忙しく進んでいない。須長さんにニュータウン街並み文献リスト依頼。
〇須長:戦後出版物(2019年まで)の追加資料を継続中で、100頁を超えた。 中央の出版物ばかりではなく、地方の中小の出版物も探したいが見つかりにくい。
〇吉本:近況報告:社員が退社して人手が不足中。提案、営業ができる人が欲しい。 調査研究:飛岡健著「インテリア・エクステリア事典」を継続して読み続けている。 (以下、今月の紹介文章内容) (1)自然の造形速度と人間社会の造形速度の差 現実的には、人間活動には必ず経済が伴う。経済水準が低いと人間的生活充足を優先 経済余力に応じて美の追求活動が高まる。 精神的怠惰とは①美とは何かを知らぬこと?美を尊重する意思をもたぬこと③美を設計 し生み出す方法を知らぬこと。この三点がある。今日の日本は精神的怠惰の時代と称せ られよう。結論として、一人一人の社会構成員が、美とは何かということを認識するこ とが大切である。それが全てのスタートだということであろう。それには本物の美を感 動的に味わい、自らの精神活動を高めることである。
(2)色のない風土ほど建物がカラフルに 砂漠化の程度の高い地域ほどカラー化の程度が高いという事例から判断して、日本の 都市は極めて砂漠化してきたということが裏返して言えるようだ。 都市は、アスファルト砂漠化し、コンクリートジャングルが林立するようになって日本 においても単原色の色彩がそれほど異端者ではなくなってきている。 ここで我々は、ひとつの選択をする必要がある。益々グレー化か、それとも再び緑に満 ち溢れた都市を回復させるかである。物質的なものは縮小化し、本来の自然を活かした形 での新しい空間を築いていくことである。インテリア・エクステリアとしてのデザインを 考える今日的意味はまさしくその点にあるといえよう。
(3)より良いインテリア・エクステリアデザインに向けて われわれは、自然の創作物を超えて、人工物として磨き抜かれた作品を生み出すことは 容易でないことを知っている。それゆえ、われわれ日本民族は、自然の緑の中に囲まれ、 それと調和して生きてきた。ドイツ等でも自然の森がある所では、それを越えて巨大なも のをそびえさせようとしない。そう考えた時、日本の自然のもつ森や草木の緑、豊かなは ずの水、あるいは土をもっと有効に生かす形でのデザインのフィロソフィが必要であり、 その下での具体的なプログラムが作られねばならないのである。
(4)日本人の特性と空間感覚―曼陀羅(マンダラ)的認識- 独自の文化を培ってきた、茶の湯や生け花に関しても、その起源は大陸であるが、今日 広がっている諸様式、内容の詳細は、日本的な独自の要素が遥かに強い。木と紙を巧妙に 細工してつくった建築は世界的にも稀であり、その独自性は極めて高い。西欧社会からみ れば極めてメルヘン的な建築文化は、優れて日本的なものとして評価しうるのである。 わが国は、ユーラシア大陸の東の海上、大海に囲まれる地震、火山活動による地殻変動 の多い島国であり山国でもある。モンスーン気候は世界の平均からみて、約2.5倍1800mm 前後の雨を降らせる。高温多湿は、四季折々の自然の豊饒を生み出し、それはわが国の 隅々まで広がっている。雨ひとつとっても五月雨、雷雨、霧雨など多くの呼び名があるご とく、日本の自然現象は極めて多様で複雑なものである。この複雑多様な様相が日本人の 脳裡に培っているものを、現象学者やシュタルト心理学者が主張する、文壇還元されぬまま 一つの全体としてのミクロコスモス(曼陀羅)としてとらえる能力である。
〇山澤:「エクステリア」を検索すると、2008年までは上昇、ピークを迎え以後下降する。 2023年にはピーク時の半減数。逆説的には「エクステリア」が認知されていると感じる。 〇伊藤:進捗なし 〇中澤:「ガーデニングブーム」の中の「出版物」と「花卉」について調べた。 参考資料 [1]高橋ちぐさ・下村孝;ガーデニングブームの実態と背景-雑誌,出版物を通して見たガ デニングブーム-.JILA65(1).2002 [2]北村安樹子;「ガーデニングブームの行方」LDI REPORT2002.7 [3]タキイ種苗出版部編;新花卉 <ガーデニングブームの特徴> ・イギリスを中心としたヨーロッパの模倣から始まる。 ・育てる楽しみより暮らしを楽しむ為のデザインを重視。 ・ブームの牽引役は1994年~1999年まで数多く出版された関連の雑誌・書籍。 ・1999年以後は、園芸関連の出版物の割合が少なくなる。 ・植物はハーブについての書籍が多い。 ・コニファーが多くい植えられた。 ・1990年後花壇用花卉の消費量が伸びた。これは2000年以後一世帯当たりの年間消費支出 が減っても、園芸品関連の消費はあまり減っていない。
◆次回定例会:5月22日(水)17:00~オンライン会議
■2024年3月度 歴史委員会 定例会議事録
日時:2024年3月12日(火)17:00~19:00 ZOOMによるオンライン会議 出席者:山澤(ZOOMホスト)、高橋、浅川、伊藤、吉本、中澤
◆議題-1:活動報告会について反省と感想(参加して・アンケート集計を見て) 〇浅川:(PC担当)PCのPDF画像が消えない問題があった。PDFの発表は一番問題がないが、PPPTを希望する発表者のデーターは事前に発表で使うパソコンで確認が必要である。ZOOM参加者にアンケート様式と資料を送ったほうが良い。 〇高橋:懇親会で新しい人達との交流ができた。(若い人たちのCAD作図の感覚に驚く) 〇山澤:(司会担当)発表時間を持て増している感じの委員会もあったようだ。 〇伊藤:(タイムキーパー担当)運営方法の準備不足で、リハーサルが必要。 〇吉本:歴史委員会をはじめ、調査報告等幅広く活動していることが分かった。 懇親会では、各地域の人、若い人との交流ができた。 〇中澤:現在のように半日ではなく、1日かけての発表会であれば、個人の発表や E&Gの学生発表も可能ですが、今後役員会でも考えていきましょう。
◆議題-2:各委員の個人テーマに対する報告 〇浅川:「武家屋敷の全国の塀」について調査、整理中。築地塀、漆喰塀等。 〇高橋:「戦後の東京地方のエクステリアについて」生活から見たエクステリアの視点で 1950年代の映像、写真集などを見ている。 〇山澤:「エクステリアの定義」について考察中。庭園学会で発表する前に聞いてほしい。 住宅の庭を中心に大正中期以降の造園分業の推移とその後の教育から紐解く。 〇伊藤:「3CADの歴史について」継続中。 〇吉本:「インテリア・エクステリア事典」を読み始めた。 1988年(36年前)全500ページの事典になる。36年前よりインテリア・エクステリアの 物の見方、考え方について一冊の著に纏め上げていることに驚きを隠せない。 一度読んだだけでは理解できないので2回~3回ゆっくりと読み返しながら理解している。 今年一年は、じっくりとこの本を読みあさり、戦後のインテリア・エクステリアの歴史について探求していく所存。インテリアのエクステリア化、エクステリアのインテリア化 建物への坪庭の取り入れ、逆に庭園にインテリアとして制作された家具などを置くなど改めてインテリア・エクステリアの垣根(境界)が薄れている。 デザインにおける物の見方では、哲学の話におよび調和的共生の時代を迎えて、あらゆる分野に興味をもち、一つの分野に創造者として突出したものが要求され、同心円状の図を用い真・善・美を統合する哲学があらゆる分野の有機的な調和から生まれるという解説や、21世紀は、明らかに共生の時代とり、諸神混在の東洋思想の時代に変化している。デザインを考える上でもこの思想は重要であるという解説コメントにも興味深い内容であった。 〇中澤:「エクステリア工事業界」について "現在の「公益社団法人 日本エクステリア建設業協会」へ至る経緯を調べた" *昭和39年ブロック建築技能士制度の実施を受けて、ブロック施工業界も動き出した。 ・昭和40年 日本コンクリートブロック施工業者団体連合(建築系)が発足した。① (東京、神奈川の施工業者が中心に設立し全国の業者へ加入を呼び掛けた) ・昭和48年日 本コンクリートブロック施工業者団体連合(エクステリア系) ② (以上柳井軍司論文より) ・昭和51年 ①②が合併し、全国ブロック工事業組合連合会設立 これが昭和54年 社団法人 日本建築コンクリートブロック工事業協会になる ・平成6年 日本エクステリア建設業協会と合併(関東エクステリア協議会、広島エクステリア協議会も入会) 社団法人 日本建築ブロック・エクステリア工事業協会としてスタ-ト ・平成25年 「公益社団法人 日本建築ブロック・エクステリア工事業協会」 (以上 同協会沿革より) *昭和51年度に①②の団体は合併したのちでも、住宅ブームの時代背景のもと施工業界はCB施工協会、エクステリア施工協会、エクステリア建設業協会等の団体をつくり、施工会社は並行していくつもの団体に加盟していたようだ。 ・昭和48年 日本エクステリア施工協会設立(瀬川氏) 他、日本エクステリア建設業協会、関東エクステリア協議会などはまだ不明です。 (使用した資料) ・「昭和50年版 業界名鑑」(日本CB施工連出版部) ・公益社団法人 日本エクステリア建設業協会 沿革、同協会HPより ・「業界の事業概要(第21回)」柳井 軍司 (社)日本建築コンクリートブロック工事協会理事 雑誌 建設労働・資材対策研究会編(大成出版社、1988-08) ・『日本建築ブロック・エクステリア工事業協会「エクステリアプランナ―制度発足」の記事』 住宅ジャーナル1996-06月号 P54 ニュースの周辺 ・元事務局長・常務理事石井 彰氏談話:2024/03/08) 「平成6年当時のブロック建築施工業者とエクステリア施工業者との意識の違い」等
◆次回定例会:4月23日(火)17:00~オンライン会議
■2024年2月度 歴史委員会 定例会議事録
日時:2024年2月20日(火)17:00~19:00 ZOOMによるオンライン会議 出席者:山澤(ZOOMホスト)、高橋、伊藤、須長、吉本、中澤
◆議題:各委員の個人テーマに対する報告 欠席者からのレポート 〇犬塚:テーマ「(仮称)災害とエクステリア」について 1.災害の種類(火災、水害、地震、雪害) ・火災 ―外周塀の耐火・防火構造、塗り壁、瓦葺き ―防火樹の植栽 *防火植栽の効果、落葉主体の現況植栽の問題 ―火災に強いまちづくり *過去の事例:川越、倉敷 *塀の種類と耐火度 ・地震 ―既存ブロック塀の倒壊防止対策 ―既存石積の種類と問題点 ・台風(風害) ―ブロック塀の倒壊防止 ・水害(洪水) ―造成地盤高の設定、腰石積み ・雪害 ―カ―ポ―トの強度、構造 2.災害への対応 ・ソ―ラ―照明、雨水貯留(トイレ等) ・災害に強いまちづくり 3.過去の災害事例 ・川越大火(1893,3月) ・宮城県沖地震(1978,6月)
出席者からのレポート 〇伊藤:「3CADの歴史について」 昨年の学会発表会では、1980年代のエクステリアCADについて発表の機会を得た。 現在、90年代についてまとめている。書籍の担当は、CADの他、ITメディアとインフラについて主にまとめる予定で情報収集を始めている。
〇須長:「戦後の造園・エクステリア・ガーデニング関連の書籍」 10年を区切りに、時代ごとに出版物においてどのような傾向があるのか? を読み解き、考察していく。
〇中澤:エクステリア工事業界について [1]戦後の大手企業の参入したブロックメーカー、補強ブロック造住宅への国の支援策、商業ビル建築に多用されたブロック業界の推移とエクステリア工事業が成立過程について。 [2]日本エクステリア施工協会(エクステリア施工会社の全国組織)の雑誌関連記事からみる行政への影響(中小企業庁の調査への関与、東京都災害対策(ブロック塀)関連等)。
〇山澤:エンゲル係数とエクステリアとの関連性について 25%が指標とされるが、30%を下回り始めた70年代にエクステリアの発展が見られる。 これは庶民でも庭を所有できるだけの経済性を備えたことを裏付ける。 それより以前の住宅の庭は和と洋が混在しているが、70年代から様式が現代風に近づく。 さらに以前の住宅において洋風の庭は19世紀末のカリフォルニアの庭そのものである。
〇高橋:経済と文化について 情報をより強く発信できる企業が生き延びている現在について。
〇吉本:自身のテーマ、戦後の「インテリア」と「エクステリア」の歴史、その融合 現職でのテーマ「インテリア」と「エクステリア」の一体提案(融合)を時代背景より探求する。 紹介書籍「インテリアエクステリア事典」産業調査会を入手し調査開始。
◆次回定例会:3月12日(火)17:00~オンライン会議
■2024年1月度 歴史委員会 定例会議事録
日時:2024年1月15日(月)16:00~18:00 場所:(貸し会議室「東京都 千代田区 内神田1丁目5-11 セントラル大手町4F」) 出席者:浅川、伊藤、阿部、犬塚、須長、中澤、山澤、吉本氏(サングリーン) 18:00から新年会の開催(会議出席者に加えて、小沼、高橋) ◆議題-1:今後の活動について(戸建て住宅のエクステリアの歴史:戦後から平成まで) 1.中期的スケジュールとして:2026年2月(歴史委員会編集「戦後のエクステリア史」) 2025年1月(各担当項目の資料収集)
2.各担当項目(とりあえずの決定です。今後変更、新規項目でも可能です) ・政治、経済、流行、災害、車:山澤が整理済 ・デザイン構成と植栽:山澤 ・書籍:須長 ・分譲地:浅川 ・3DCAD、通信、インフラ、メディア:伊藤 ・エクステリア資材の歴史(金物、ブロック)、流通:阿部 ・エクステリ施工会社の変化、住宅・敷地の変遷、エンドユーザーの意識:中澤 ・その他コラム的コメント:犬塚 ・高橋(考慮中):会議後の新年会にて依頼
3.進捗確認方法について ・毎月の会議時に、レポート的に書面で提出 *次回会議時より、各自担当項目の進捗、方針などレポート提出 (会議欠席者は、事前に中澤宛メール送信してください)
4.定例会及び番外編会議(戦後のエクステリアを研究するグループ)の統一について これまで開催曜日を水曜日に固定化していたこと、一定の出席者のみの発言によって、他の委員が参加しにくいとのことで、「定例会」と「有志による番外編会議」の二本立てとしてきたが、開催日を当月出席者の話し合いで、次回の開催日を決めること、出席者だれでも発言できる雰囲気作りで、「会議を一本化する」ことにしました。
5.次回開催日は:2月20日(火) 17:00より ZOOMオンライン (オンラインホスト役は阿部)
◆議題-2 「活動報告会」で歴史委員会発表者 須長より、発表内容の説明ありました。 タイトル:「エクステリア」が本の表紙に現れ始めた時代 ―1980年代―の出版状況から(4つの特徴的視点) 1.タイトルに「エクステリア」の文字のある本 「エクステリア」という言葉は1970年代半ばから雑誌記事にはあっても、書籍にはほとんど見られず、1980年代初めに大森博史の著作から見られるようになるが、中には和風庭園も洋風庭園も共に「エクステリア」と表現する等名称と内容が一致するまでには至らない。 この時期「エクステリア」の出版物の中では、際立っているのが飛岡健 編集の『エクステリアの視点』と『インテリアエクステリア辞典』である。
2.郊外住宅(戸建て住宅団地・ニュータウン)に関する本 戦後大都市では深刻な住宅不足が長き、郊外では1960年代から大量の住宅地の開発が行われた。特に民間の開発では、大規模な戸建て住宅団地が建設されたが、それらは住宅と外構・庭園がワンセットとしてつくられた建売住宅が中心であり、大量に供給された住宅の外構工事や庭の植栽工事は、造園、エクステリア業界の発展に多大な影響を与えた。 1970年代に入り、住いの多様性と良質な住環境を求める動きは、住宅地開発でも宅地の配置・道路・緑地等のインフラ整備から個々の住宅の外構・植栽に至るまで、計画的に創りトータルとしての住環境の良さを印象付ける販売手法が多くなった。 こうした住宅地の計画や手法について最も早く、広く知られた本はイギリス郊外住宅地の開発について書かれたエベネザー・ハワードの『明日の田園都市論』で、1968年に翻訳出版され1981年までに11刷を重ねるほど、読み継がれている。 1980年代には海外の事例紹介本や、建築家の宮脇壇、猪狩達夫などの計画・設計の具体的手法などの本が出版された。
3.雑木の本 雑木の庭は昭和初期より飯田十基により生み出され、明るい和風庭園イメージは、戦後に広く指示された。飯田の教えを受けた小形研三は1973年に作品集を『庭・自然と造形』を出版した、これが雑木の庭の本の初めであった。この刊行をきっかけに、深谷光軌、星進、小島佐一の出版など1980年代まで雑木の庭ブームは続いた。
4.ガーデニング前史という本(庭園と園芸の融合、イングリッシュガーデン) 1990年代の日本は、イングリッシュガーデンブーム、ガーデニングブームが起こり 住宅・街づくり・ランドスケープ・庭園・園芸・エクステリアなど広範囲に影響を及ぼした。 しかしこうした前兆ともいえる本は、1970年代後半から80年代にかけて出版されていた。1978年には塚本洋太郎の『園芸の時代』。1977年に造園家、中島健は日本庭園に色鮮やかな洋花を植えこんだ庭を紹介された(「庭」別冊4特集)、1979年園芸家、川上幸男『緑の設計?庭と園芸の接点を求めて』等である。 以上。
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